棋聖戦
 

 



1976年創設。読売新聞社主催。日本の国内棋戦中、賞金が最高額(2009年現在、4500万円)であるため、国内のタイトルの序列では最高の位置に列せられる。またタイトル戦では現在唯一、2年に一回海外対局を行なう。

棋聖を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、60歳以降に名誉棋聖を名乗る資格を得る。藤沢秀行が生前これを名乗ったほか、小林光一が名乗る資格を得ている。

 
  •  1 1977年 藤沢秀行 4-1 橋本宇太郎
         1 2 3 4 5 6 7
  •  2 1978年 藤沢秀行 4-3 加藤正夫
         1 2 3 4 5 6 7
  •  3 1979年 藤沢秀行 4-1 石田芳夫
         1 2 3 4 5 6 7
  •  4 1980年 藤沢秀行 4-1 林海峰
         1 2 3 4 5 6 7
  •  5 1981年 藤沢秀行 4-0 大竹英雄
         1 2 3 4 5 6 7
  •  6 1982年 藤沢秀行 4-3 林海峰
         1 2 3 4 5 6 7
  •  7 1983年 趙治勲 4-3 藤沢秀行
         1 2 3 4 5 6 7
  •  8 1984年 趙治勲 4-2 林海峰
         1 2 3 4 5 6 7
  •  9 1985年 趙治勲 4-3 武宮正樹
         1 2 3 4 5 6 7
  • 10 1986年 小林光一 4-2 趙治勲
         1 2 3 4 5 6 7
  • 11 1987年 小林光一 4-1 武宮正樹
         1 2 3 4 5 6 7
  • 12 1988年 小林光一 4-1 加藤正夫
         1 2 3 4 5 6 7
  • 13 1989年 小林光一 4-1 武宮正樹
         1 2 3 4 5 6 7
  • 14 1990年 小林光一 4-1 大竹英雄
         1 2 3 4 5 6 7
  • 15 1991年 小林光一 4-3 加藤正夫
         1 2 3 4 5 6 7
  • 16 1992年 小林光一 4-3 山城宏
         1 2 3 4 5 6 7
  • 17 1993年 小林光一 4-3 加藤正夫
         1 2 3 4 5 6 7
  • 18 1994年 趙治勲 4-2 小林光一
         1 2 3 4 5 6 7
  • 19 1995年 小林覚 4-2 趙治勲
         1 2 3 4 5 6 7
  • 20 1996年 趙治勲 4-3 小林覚
         1 2 3 4 5 6 7
  • 21 1997年 趙治勲 4-1 小林覚
         1 2 3 4 5 6 7
  • 22 1998年 趙治勲 4-2 依田紀基
         1 2 3 4 5 6 7
  • 23 1999年 趙治勲 4-2 小林光一
         1 2 3 4 5 6 7
  • 24 2000年 王立誠 4-2 趙治勲
         1 2 3 4 5 6 7
  • 25 2001年 王立誠 4-2 趙善津
         1 2 3 4 5 6 7
  • 26 2002年 王立誠 4-2 柳時熏
         1 2 3 4 5 6 7
  • 27 2003年 山下敬吾 4-1 王立誠
         1 2 3 4 5 6 7
  • 28 2004年 羽根直樹 4-3 山下敬吾
         1 2 3 4 5 6 7
  • 29 2005年 羽根直樹 4-3 結城聡
         1 2 3 4 5 6 7
  • 30 2006年 山下敬吾 4-0 羽根直樹
         1 2 3 4 5 6 7
  • 31 2007年 山下敬吾 4-0 小林覚
         1 2 3 4 5 6 7
  • 32 2008年 山下敬吾 4-3 趙治勲
         1 2 3 4 5 6 7
  • 33 2009年 山下敬吾 4-2 依田紀基
         1 2 3 4 5 6 7
  • 34 2010年 張栩 4-1 山下敬吾
         1 2 3 4 5 6 7

 小林光一
 


  藤沢秀行



創設

1961年から開始した名人戦において、当時「狂乱物価」とも呼ばれた中、1974年まで日本棋院からの契約金増額要請に主催者の読売新聞がほとんど応じなかったことから、日本棋院では名人戦の朝日新聞への移管を進め、1974年末に契約打切りを読売新聞に通告した。

読売新聞はこれに反発し、メディアを通じて抗議、また1975年8月に日本棋院を相手にした訴訟を起こした。同時に水面下の交渉も続け、日本棋院顧問岡田儀一による「名人戦は朝日と契約」「読売は序列第一位の新棋戦、最高棋士決定戦・棋聖戦を新たに契約」(岡田私案)とする斡旋案で、同年12月10日に和解した。この経緯は名人戦騒動として知られ、将棋の名人戦契約にも大きな影響を与えた。


歴史

棋聖戦は、前述のように「名人戦騒動」の渦中から生まれ、1976年にスタートした。当時全盛の林海峰や木谷一門の実力者たちを退け、第1期棋聖戦の最高棋士決定戦トーナメントを勝ち上がったのは、藤沢秀行・橋本宇太郎の両ベテランであった。決勝七番勝負では藤沢が70歳の橋本を4-1で降し、初代棋聖の座に就いた。

翌1977年の第2期は、四冠を保持する挑戦者・加藤正夫を迎え、藤沢はたちまち1勝3敗に追い込まれる。このカド番・第5局で藤沢は、2時間57分という大長考を払って加藤の大石を全滅させ、気迫の勝利を挙げた。最終局でも藤沢は半目差で逃げ切り、大逆転での防衛を果たした。

以降藤沢は超一流の挑戦者を迎えるも毎年ことごとく撃退、50代で棋聖戦6連覇を果たした。しかし1983年の第7期、挑戦者の趙治勲は3連敗から残り4番を連勝して棋聖を奪取、世代交代を果たした(藤沢はこの時期胃ガンが進行していた)。

1986年、3連覇を果たした趙は兄弟子の小林光一を挑戦者に迎えるが、直前に交通事故で両足と左手を骨折する重傷を負う。不戦敗やむなしとの声もあった中、趙は車椅子で対局に臨み、逆境の中2勝を挙げるが力尽き、小林に棋聖を明け渡した。以降小林は8連覇を果たし、碁界の第一人者として君臨する。この間、加藤正夫は3度棋聖に挑み、奪取すれば趙に続くグランドスラム達成となったが、全て小林の壁に阻まれた。

1994年、小林の連覇を止めたのは、宿命のライバル・趙であった。その翌年、小林覚が挑戦者として登場。初挑戦にして趙を降して棋聖の座に就く。しかし翌年には趙がすかさず奪回。するとその翌年、再び小林覚が挑戦者となり、3年連続同一カードとなった。趙はこの対決を制し、再び大三冠に君臨した。

2000年、趙の5連覇による名誉棋聖獲得を阻んだのは王立誠であった。王の3連覇目、挑戦者に柳時熏を迎えた第5局で、柳はダメ詰めの最中にアタリを放置、王がこれを打ち抜いて逆転勝ちするという事態が生じた。立会人裁定で王の勝利が認められたが、ルール・マナー・美学など様々なレベルで物議を醸すことになった。